この作品は、国語の教科書にも登場し、名作として名高い中島敦の短編小説「山月記」が原作です。
舞台を現代に置き換え、その原作の持つ雰囲気を大事にしながらも大胆にアレンジし、「音楽劇」として構成しています。
脚本は「九州戯曲賞」「せんだい短編戯曲賞」受賞作家で、今、日本の演劇界で注目を集める川津羊太郎氏が執筆。
「FFAC創作コンペティション」で最優秀作品賞、観客賞を受賞し、福岡を代表する演出家として躍進中の中嶋さとが演出を担います。
鑑賞者を飽きさせないよう、衣裳や音楽、物語の展開にも工夫を凝らしており、虎になった男の躍動感あふれる動きや、道化達のコミカルなキャラクターも見どころの一つとなっています。
子どもの頃から成績優秀で、高校、大学、就職と順風満帆な人生を歩んできたサトナガ。
しかし、ある日とつぜん彼は会社を欠勤し、自室に引きこもってしまう。
同僚のエンドウが彼の家を訪ねると、サトナガの妻は「夫の部屋から奇妙な声が聞こえてくる」と話す。
「まるでケモノがうなるような声が」――。
固く閉ざされたドアをはさんで、エンドウが室内に呼びかける。するとサトナガの声が答える、
「自分はケモノに身を堕としてしまった」のだと。
心配したエンドウが強引にドアを開けると、そこには、サトナガの妄想の「樹海」が広がっていた。
妄想の樹海で、エンドウはそこに寄生する奇妙な道化たちに出会う。
そこは、サトナガの記憶とも繋がっている様で、エンドウは学生時代や、入社当初のサトナガと出会う。
やがて樹海をさまよう現在のサトナガを見つけると、彼は「ケモノ=ヒト喰いトラ」に身を堕としていた。
サトナガの記憶や妄想に触れることで、彼の抱えていた孤独を知ったエンドウは、なんとかサトナガを救おうとするが――
古くから私達の間で読まれている名作には、大きなメッセージがあります。
この作品に出てくる「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」とは何か。
そしてそれにより虎に身を堕としてしまう主人公の行く末は何を意味しているのか。
私達はそこに「努力することの大切さ」と「他者を受け入れる心をもつことの大切さ」を見出しました。
人は努力することで、人生でぶつかる壁を乗り越えることができる。
そして人として生きていくためには、自分以外の人の気持ちを考えて行動することも大事です。
現在、世界で起こっている様々な争いや問題には、「他者の気持ちを想像することの欠如」が原因になっているものもあるように思えます。
この作品をご覧になった方が、「努力すること」や「人を思いやる心」の大切さを感じて、より豊かな人生を歩まれることを願います。
原作:山月記(中島 敦)
作:川津羊太郎
演出:中嶋さと
音楽:吉川達也
振付:百田彩乃(だーのだんす)
映像:岡本直樹(合同会社パーカップ)
企画・製作:14+
上演時間:約70分
14+の音楽劇『サンゲツキ』ダイジェスト映像